2009年02月07日
博多人形の祖
1400年代~1500年代の記録は少ないが、
1600年(慶長5年)からの記録が、
檀家である博多・宗玖寺の過去帳に残されています。
それによれば、「初代陶師」として
中ノ子長右衛門が下祇園町に住んでいたことが
記録されており、陶器等を作っていたものと思われます。
大乗寺前町に住んでいた8代陶師中ノ子長右衛門 (安兵衛) が、
幕府の規制により長男・9代長右衛門 (長伝) に
家業の陶師を継がせ、次男・長四郎(吉兵衛)には
土産品向け土人形の制作を行なわせた事が、
博多人形の祖である博多素焼人形の起こりです。
1600年(慶長5年)からの記録が、
檀家である博多・宗玖寺の過去帳に残されています。
それによれば、「初代陶師」として
中ノ子長右衛門が下祇園町に住んでいたことが
記録されており、陶器等を作っていたものと思われます。
大乗寺前町に住んでいた8代陶師中ノ子長右衛門 (安兵衛) が、
幕府の規制により長男・9代長右衛門 (長伝) に
家業の陶師を継がせ、次男・長四郎(吉兵衛)には
土産品向け土人形の制作を行なわせた事が、
博多人形の祖である博多素焼人形の起こりです。
Posted by とっぽぽ at
23:07
2009年02月07日
中ノ子家の歴史
中ノ子家の歴史は古く、
中世に瀬戸内海の豪族である越智・
河野通継(おち・こうのみちつぐ)の四男・
通成(みちなり)の子で、母方の
「中ノ子」姓を名乗ったことを祖とします。
「中ノ子」は本来「仲子」と書き、
「なかのこ」という苗字はそれより以前の
800年代より、山口県二俣神社の
歴代宮司である「仲子」氏として知ることができます。
この宮司系である仲子が越智・河野家に嫁ぎ、
その子が人偏の取れた「中ノ子」を名乗ったというのが、
現在の通説とされています。
(山口県大三島大社系図による)
中ノ子・仲子・中野子・中子・中之子といった、
読みが「なかのこ」になる苗字は、
一類同属であると古文書に記されています。
中世に瀬戸内海の豪族である越智・
河野通継(おち・こうのみちつぐ)の四男・
通成(みちなり)の子で、母方の
「中ノ子」姓を名乗ったことを祖とします。
「中ノ子」は本来「仲子」と書き、
「なかのこ」という苗字はそれより以前の
800年代より、山口県二俣神社の
歴代宮司である「仲子」氏として知ることができます。
この宮司系である仲子が越智・河野家に嫁ぎ、
その子が人偏の取れた「中ノ子」を名乗ったというのが、
現在の通説とされています。
(山口県大三島大社系図による)
中ノ子・仲子・中野子・中子・中之子といった、
読みが「なかのこ」になる苗字は、
一類同属であると古文書に記されています。
Posted by とっぽぽ at
23:06
2009年02月07日
博多人形(はかた にんぎょう)
博多人形(はかた にんぎょう)は、
福岡県の伝統工芸品の一つです。
福岡市の博多地区で作られてきました。
現在では博多地区外でも多く製作されます。
発祥には諸説があり、陶師(すえし)の中ノ子家、
博多祇園山笠の小堀流山笠人形の流れを汲む
白水家、瓦職人の正木宗七(惣七)の3説が
有力とされていたが、現在では学術的研究が進み、
1600年代に博多の町で陶師を営んでいた
中ノ子家より転業した中ノ子安兵衛・吉兵衛親子と、
小堀流山笠人形の流れを汲む白水家との
複合的要因が最も有力とされています。
「中ノ子」の苗字由来にはこれまで諸説あります。
福岡県の伝統工芸品の一つです。
福岡市の博多地区で作られてきました。
現在では博多地区外でも多く製作されます。
発祥には諸説があり、陶師(すえし)の中ノ子家、
博多祇園山笠の小堀流山笠人形の流れを汲む
白水家、瓦職人の正木宗七(惣七)の3説が
有力とされていたが、現在では学術的研究が進み、
1600年代に博多の町で陶師を営んでいた
中ノ子家より転業した中ノ子安兵衛・吉兵衛親子と、
小堀流山笠人形の流れを汲む白水家との
複合的要因が最も有力とされています。
「中ノ子」の苗字由来にはこれまで諸説あります。
Posted by とっぽぽ at
23:04

